満月
町内会秋祭り・子ども神輿
落慶法要
6月9日に寺町の「中原山眞行寺」の建替えの落成記念法要が有りました。

2003年に15ケ年計画で浄財(ノルマ)が始まり、昨年春着工しやっと竣功しました。
設計図を見て、「なに…これ?」 「これ、お寺?」と疑うほどの建物。

建て替え前のお寺

大きなシュロだけが残されています。
まるで、マンションです。
この際なので、歴史を調べてみました。
中原山眞行寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、住吉は高宮郡(現在の安芸高田市)
上町屋村にあって、真言宗から浄土真宗に転じ、佛寺を沼隈郡(現在の福山市)新庄村
中原に移した。
毛利時代に広瀬村(現在の広島市中区広瀬町)に寺領を賜り、福島正則の時に今の
寺町に南北二十間、東西三十間の免地を拝領した。
当寺の始祖を順空という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
安芸武田氏は清和源氏の流れを組む名門武士で、源義光(新羅三郎義光)を
武田氏の始祖とする。承久の乱(1221)で功績を上げた武田信光が鎌倉幕府か
ら安芸を与えられ(守護)た。当初は甲斐武田に住み、守護代を派遣していたが、
第10代武田氏信の時代から安芸に定住するようになる。
長録3年(1459)城主武田治信の嫡子義信は、甲斐から武田一族の僧正信を迎え
龍原(広島市安佐南区祇園8丁目(北下安龍原)=広島県立祇園北高校付近)に
本坊の「龍原山仏護寺」と塔頭を数坊建立した。その門前には12坊が並んだ、
左は甲斐から招いた甲斐6坊、右を安芸の地6坊といった。
なお、龍原12坊は後で2坊増置して14坊になったようであるが、12坊と称するのは
龍原の旧称によるという。
この14坊は武田氏滅亡後、多くは現在の「広島市中区寺町」に移っており、
今も現存している。また、下に記すように寺町に移っていない4ケ寺もある。 (「祇園町誌」)
今回、これらの寺院の現況を主に写真で追ってみた。
歴史的背景を知り各々の寺院を訪れると、14坊はもとから有力寺院であったが、
今なお地域を代表する規模と気品とを有して、歴史を感じられる 寺院が多いい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この中の14坊の一寺のようです。
もう気品らしきものはまったく感じられなくなってしまった。
我家のお墓は爺さんの時(130年くらい前)に落合村(現在の安佐南区落合)末光から
ここへ墓を移したよう。
今の墓は3代目と聞いたことが有る。
いずれにしても、永代に継いで行かなければならないので大変です。
昨年は取り壊しの前に、父と母の13回忌と17回忌をしていたので
当分は安心。

2003年に15ケ年計画で浄財(ノルマ)が始まり、昨年春着工しやっと竣功しました。
設計図を見て、「なに…これ?」 「これ、お寺?」と疑うほどの建物。

建て替え前のお寺

大きなシュロだけが残されています。
まるで、マンションです。
この際なので、歴史を調べてみました。
中原山眞行寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、住吉は高宮郡(現在の安芸高田市)
上町屋村にあって、真言宗から浄土真宗に転じ、佛寺を沼隈郡(現在の福山市)新庄村
中原に移した。
毛利時代に広瀬村(現在の広島市中区広瀬町)に寺領を賜り、福島正則の時に今の
寺町に南北二十間、東西三十間の免地を拝領した。
当寺の始祖を順空という。
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安芸武田氏は清和源氏の流れを組む名門武士で、源義光(新羅三郎義光)を
武田氏の始祖とする。承久の乱(1221)で功績を上げた武田信光が鎌倉幕府か
ら安芸を与えられ(守護)た。当初は甲斐武田に住み、守護代を派遣していたが、
第10代武田氏信の時代から安芸に定住するようになる。
長録3年(1459)城主武田治信の嫡子義信は、甲斐から武田一族の僧正信を迎え
龍原(広島市安佐南区祇園8丁目(北下安龍原)=広島県立祇園北高校付近)に
本坊の「龍原山仏護寺」と塔頭を数坊建立した。その門前には12坊が並んだ、
左は甲斐から招いた甲斐6坊、右を安芸の地6坊といった。
なお、龍原12坊は後で2坊増置して14坊になったようであるが、12坊と称するのは
龍原の旧称によるという。
この14坊は武田氏滅亡後、多くは現在の「広島市中区寺町」に移っており、
今も現存している。また、下に記すように寺町に移っていない4ケ寺もある。 (「祇園町誌」)
今回、これらの寺院の現況を主に写真で追ってみた。
歴史的背景を知り各々の寺院を訪れると、14坊はもとから有力寺院であったが、
今なお地域を代表する規模と気品とを有して、歴史を感じられる 寺院が多いい。
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この中の14坊の一寺のようです。
もう気品らしきものはまったく感じられなくなってしまった。
我家のお墓は爺さんの時(130年くらい前)に落合村(現在の安佐南区落合)末光から
ここへ墓を移したよう。
今の墓は3代目と聞いたことが有る。
いずれにしても、永代に継いで行かなければならないので大変です。
昨年は取り壊しの前に、父と母の13回忌と17回忌をしていたので
当分は安心。